2009年06月25日

モラルハザード

上記のような金融危機への対策が打たれることにより、モラルハザードの発生が懸念される。どのような結果に陥っても安全が保証される仕組みが整うことで、銀行経営の自制が失われ、より社会全体のリスクが高まる可能性がある。このため、銀行経営者への責任追及を重視する見方もある。

近代に金の預り証から始まった銀行は、金本位制の下で発展を続けた。産業革命後、設備投資や商業取引による資金需要増大で銀行は大いに成長したが、不安定な信用構造はたびたび崩壊し十年周期の景気循環を引き起こす要因となっていた。

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1929年に世界恐慌が発生すると、各国の脆弱な金融体制は次々に瓦解し信用経済システムは崩壊の危機に瀕した。各国は独自の再建に乗り出した。全体主義が広まりつつあった当時は、強権的な政府により銀行が再編・規制され、管理・保護が前面に押し出された金融行政が行なわれた。

第二次世界大戦後、ブレトン・ウッズ体制の下で世界経済は記録的な成長を遂げるが、この中でも金融への規制は厳しく保護された金融システムとなった。

1970年代以降、ニクソン・ショックを契機にブレトン・ウッズ体制が崩壊すると金融は次第に自由化の流れへ向かった。この中で各国は銀行業への規制を次第に撤廃し、競争的な銀行システムが形成されていった。

2008年から2009年には、米国の住宅バブル崩壊により、世界金融危機が発生し現在も危機が継続中である。

2009年06月10日

船上のペリーに対してまず浦賀奉行所与力の

幕府は、船上のペリーに対してまず浦賀奉行所与力の中島三郎助を派遣し、ペリーの来航が将軍にアメリカ合衆国大統領親書を渡すことを目的とすることを把握したが、ペリー側は幕府側の与力の階級が低過ぎるとして親書を預けることを拒否した。続いて同じく香山栄左衛門が訪ねたが対応は変わらず、親書は最高位の役人にしか渡さないとはねつけられた。香山は上司と相談する為に4日の猶予をくれるように頼んだが、ペリーは3日なら待とうと答え、さらに親書を受け取れるような高い身分の役人を派遣しなければ、江戸湾を北上して、兵を率いて上陸し、将軍に直接手渡しすると脅しをかけた。
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このとき第12代将軍徳川家慶は病床に伏せていて、国家の重大事を決定できる状態には無かった。老中首座阿部正弘は、6月6日(同年7月11日)に国書を受け取るぐらいは仕方ないだろうとの結論に至ったため、嘉永6年6月9日(1853年7月14日)にペリー一行の久里浜上陸を許し、浦賀奉行の戸田伊豆守・井戸石見守がペリーと会見した。ペリーは彼等に開国を促すフィルモア大統領親書、提督の信任状、覚書などを手渡したが、幕府は将軍が病気であって決定できないとして、返答に1年の猶予を要求したため、ペリーは返事を聞く為、1年後に再来航すると告げた。艦隊は6月12日(同年7月17日)に江戸を離れ、琉球に残した艦隊に合流して香港へ帰った。

それからわずか10日後の6月22日(同年7月27日)に将軍家慶は死去すると、13代将軍に家定が就いたが、彼は病弱で国政を担えるような人物ではなかった。しかし老中等にも名案は無く、国内は異国排斥を唱える攘夷論が高まっていたこともあって、老中首座の阿部は開国要求に頭を悩ませた。そこで彼は、広く各大名から旗本、さらには庶民に至るまで、幕政に加わらない人々にも、外交についての意見を聞こうとしたが、これは開幕以来初めてであった。国政に発言権の無かった外様大名はよろこんだが、名案は無かった。これ以降は国政を幕府ではなく合議制で決定しようという「公議輿論」の考えだけが広がり、幕府の権威を下げるものであった。

阿部はとりあえず、諸大名へ江戸湾警備を増強すべく、砲撃用の台場造営を命じたほか、11月14日に持ち場の変更を行わせた。

2009年06月06日

アスキーアート

アスキーアート(ASCII Art)は、アスキーコード(ASCII Code)の図形文字領域0x20?0x7eに含まれる文字・記号によって描かれたアート。テキストアート、文字絵とも呼ばれる。AAと略される事もある。

厳密な意味では、アスキーアートとは、アスキーコードの0x20?0x7eもしくは、他の文字コードからそれにマッピングされる文字のみを使ったもののみを言い、それ以外の文字(たとえば日本語や中国語の文字コードの2バイト文字)を含むものは単にテキストアートと言うが、日本ではあまり区別されない。

アスキーアートは、主に顔文字などが主流だが、数行にわたって書くことで風景描写・写実画やイラストなどの代わりに使うこともできる。従来は印刷表示式のテレタイプで行われていた。
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広い意味では、アスキーコード以外の文字コード(ISO-8859-1やShift_JIS)に含まれる文字や記号、活字を並べることで全体が別の表現に見えるものを総称してこう呼ぶ。

日本国内で見られるものは、一部の顔文字を除いていわゆる全角文字や半角カナのような非アスキー文字を使っているため、厳密にはアスキーアートとは呼べない。そのため、「テキストアート」と呼ばれることがある。また、「JISアート」「モナーアート」なる名称も考案されたが、こちらは広く普及するには至っていない。

伝統的には等幅フォントを使用するが、日本国内のwebサイト(特に匿名掲示板2ちゃんねるなど)においてはプロポーショナルフォントを使用する場合も多い(MS Pゴシックが最も多用される)。それらを知りたい場合は外部リンクの「AA大辞典」を参照。

古くは、キャラクタディスプレイ上に図や表を表すためによく利用された。現在でもUnixでのシェルなど、CUI環境で利用されている。

2009年04月23日

現地管理者として家人

地頭は元々、平安時代中期頃から、土地のほとり、すなわち「現地」を意味する語として使用され始めたが、そのうち、現地で領地を支配する有力者、又は荘園を現地管理する荘官職、公領を現地管理する郡司、郷司、保司職を表すようになった。平安末期の平氏政権下では、平氏が所領の現地管理者として家人の武士を地頭に任命した事例がわずかながらも見られたが、その実態や職務はよく判っていない。

平氏政権に対抗して、関東に独自の支配権を確立した源頼朝の武士政権(後の鎌倉幕府)は、依ってきた武士(すなわち御家人)を地頭に任命することで、自らの支配権を強めていった。また、御家人の多くは、荘園の荘官、公領の郡司、郷司、保司であり、荘園領主(本所)や国司(特にその筆頭官としての受領)の家人・被官としての地位しか与えられていなかったが、関東を実効支配していた頼朝政権に地頭職を補任されることにより、在地領主としての地位を認められたのである。

ところで頼朝政権は当初、関東の私的な政治・軍事勢力に過ぎなかったが、平氏政権との内戦(治承・寿永の乱)を経るに従い、後白河法皇を中心とする公権力(朝廷)から徐々に東国支配権を認められていき、政権の正統性を獲得していった。1185年、頼朝政権が平家を滅ぼした直後、頼朝政権の一員だった源行家・源義経が頼朝へ反抗姿勢を見せ始めると、同年11月に頼朝義父の北条時政が上京し、後白河側と交渉を行い、その結果、頼朝側へ、行家・義経追討を名目として荘園・公領から兵糧米を徴収する職(=地頭・守護)の設置が勅許されることとなった(文治の勅許)。このことは、『吾妻鏡』(幕府の正史)及び『玉葉』(内覧・九条兼実の日記)に記録されているが、両者の記述は断片的かつ食い違う箇所があるため、このとき公認された地頭・守護の職務範囲等については議論が分かれている。なお、鎌倉幕府の成立時期にはいくつかの説が提出されているが、そのうち、地頭・守護の設置は幕府の支配権が全国的な広がりを持つに至った非常に重要な画期であるとして、学界では最も多くの支持を集めている。
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頼朝傘下の地頭・守護の公認に対しては、当然ながら荘園領主・国司(=公家)からの反発があり、地頭の設置は平家没官領(平氏の旧所領)のみに限られるようになった(この限定の経緯についても諸説分かれている)。しかし、後白河上皇が1192年に死去すると、地頭の設置範囲は次第に広がっていった。

発展
1221年の承久の乱での勝利により、鎌倉幕府は朝廷側の所領約3000箇所を没収した。これらの土地は西日本に所在しており、新しい地頭として多くの御家人が西日本の没収領へ移住していった。これを新補地頭(しんぽじとう)といい、それ以前の地頭は本補地頭(ほんぽじとう)と呼ばれた。また、新補地頭の給分を定めた規定を新補率法(しんぽりっぽう)といい、その内容は、

田畠11町当たり1町を、年貢を荘園領主・国司へ納入する必要のない地頭給田畠とする。
田畠1段当たり5升の米(加徴米)の徴収権を新補地頭へ与える。
山野河海の収益は、地頭と荘園領主・国司が折半する。
地頭の検断により逮捕された犯人の財産の3分の1が、地頭へ与えられる。
というものだった。ただし、土地の慣習・先例がある場合は、新補率法に優先した。なお、後に新補地頭を兼ねた本補地頭が、本補地頭としての給分も新補率法に合わせようとする両様兼帯の問題も生じた。新補地頭として西日本へ移住した御家人には、安芸の毛利氏・熊谷氏、豊後の大友氏、薩摩の千葉氏・渋谷氏などがおり、かなり大規模な移住だったため、「日本史上の民族大移動」と評する論者もいる。

室町期
鎌倉期の守護は、軍事・警察権の行使が主な任務であり、経済的権能は付与されていなかった。そのため、在地の地頭が積極的に荘園・国衙領へ侵出することができていた。

しかし、室町期になると、守護に半済や使節遵行の権利が付与され、守護の経済的権能が一気に拡大することとなった。守護は、獲得した経済力を背景に、国内の地頭やその他の武士・名主・有力者層を被官として自らの統制下へ置こうとし、国内への影響力を強めていった。そうなると、鎌倉期以来の地頭という地位は意義を失い、従来の地頭は、他の武士・有力名主らと同様に国人(こくじん)へと変質していき、室町中期までに地頭は名実ともに消滅した。

2009年04月19日

パルティア

パルティア(古典ギリシア語:Παρθία, 古典ラテン語:Parthia, 紀元前247年頃 - 228年)とは、カスピ海南東部、イラン高原東北部に興った王国である。ダーハ氏族の支流であるパルニ氏族を中心とした遊牧民の長、アルシャク(古典ギリシア語形:アルサケス)が建国した。

アルサケス朝(古典ギリシア語)、アルシャク朝(中世ペルシア語:????????, Ashkâniân)とも呼ばれ、中国では張騫によって安息と音訳された。中世ペルシア語名「アルシャク」は古代ペルシア語形ではアルタクシャサで、アケメネス朝のアルタクシャサ王(古典ギリシア語形:アルタクセルクセス)に相当する名前である。パルテヤとも表記される[1]。

古典ギリシア語ないしラテン語である「パルティア」は元々、パルティア王国の故地である東北イランのパルサワ(古代ペルシア語:Parthava)を転写した地名でしかないが、王国の領域は現在でいうアルメニア、イラク、グルジア、トルコ東部、シリア東部、トルクメニスタン、アフガニスタン、タジキスタン、パキスタン、クウェート、サウジアラビアのペルシャ湾岸部、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦の領域にまで拡大した。

最も初期の都はミトラダトケルタ、次いでカスピ海南岸のヘカトンピュロス、更に遷都してバビロニアのクテシフォン。歴代のパルティア王は「アルサケス」という称号を継承しており、初代王の個人名であったものが、後にパルティアの君主号として定着したものと言われている
紀元前3世紀中頃にはセレウコス朝の支配力が衰え、紀元前250年頃にその支配下からバクトリアが独立した。これとほぼ同時にパルティア地方とヒルカニア地方では現地の総督アンドラゴラスがセレウコス朝より独立していたが、パルニ氏族を中心とした遊牧民勢力が、アルサケス1世(前247年頃 - 前211年頃)と弟のティリダテス1世を指導者としてアンドラゴラスの勢力を放逐して周辺一帯の支配権を得た。この年代はおおよそ紀元前247年ごろと推定されている[2]。アルサケス1世とティリダテス1世の関係には様々な説がある(それぞれの項目を参照)。

以降、パルティア地方に定着した彼らは「パルティア人」と呼ばれるようになる。アルサケス1世とティリダテス1世による征服以前から「パルティア」という地名は存在したが、その時代の「パルティア人」と一般的に知られている「パルティア人」は同一ではない。

アルサケス1世らは、初めニサ(現在のアシガバート近郊、ミトラダトケルタだとする説が有力)を根拠地としていたが、ヒルカニア地方(カスピ南東部)に進出し、ヘカトンピュロスを首都とした。その後、長くパルティアにとってヒルカニア地方が本拠地となった。同じくセレウコス朝より独立したバクトリアのディオドトス2世とは紀元前228年頃に同盟を結び東方を固めた。しかし、セレウコス朝シリアのセレウコス2世の遠征に遭い、アルサケス1世は一度はサカの地に避難したものの、セレウコス2世がシリアで没する(紀元前226年)と再び帰還した。その後は町の建設を行い、国固めを行った。 アルサケス1世の死後、歴代の王は全て王の称号として「アルサケス(アルシャク)」を用いるようになった。

王位を継いだアルサケス2世(在位:前211年頃 - 前191年)の時代にはメディアのエクバタナを占領したが、セレウコス朝のアンティオコス3世の東方遠征によってにエクバタナを奪還される。さらにアナーヒター神殿の財宝を奪われ、最終的には本拠地のヘカトンピュロスにまで進軍されたため、セレウコス朝の優位を認め「同盟者」となった。

次の王フリアパティウス(在位:前191年 - 前176年)からはティリダテス1世の子孫が王位を継いでいくことになる。彼の時代の前189年、セレウコス朝のアンティオコス3世がローマとの戦いに敗れ、この直後に再びセレウコス朝の勢力下から離脱した。フラーテス1世(在位前176年 - 前171年)の時代にはエルブールズ山脈へ進出。さらにマーザンダラーン(カスピ海南岸)を征圧し、メディア侵出の足がかりを得た。

総じてこの時代のパルティアは中央アジアに近い地域の一角を占める地方勢力でしかなく、古代の記録者達も彼らに対して格段の興味を示してはいなかった。しかし、やがてパルティアはイラン世界の覇を唱える勢力に成長していくことになる。

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拡大とギリシア人
ミトラダテス1世(在位:前171年 - 前138年)の治世にはパルティアは飛躍的な拡大を遂げた。まずエウクラティデス王が率いるバクトリアに東征して2州を奪い、西方では長期に渡る戦いの末、紀元前148年または紀元前147年にはメディア地方をその支配下に置いた。これによってセレウコス朝の中核地帯であるバビロニアへの拡大が視野に入ることとなった。

セレウコス朝の内乱も手伝ってバビロニア方面への侵攻は大成功に終わり、前141年までにはバビロニアの中心都市セレウキアを陥落させ、翌年にはスシアナの中心都市スサも陥落、エリマイス王国もその影響下に置いた。

しかし、このミトラダテス1世の征服活動の結果、パルティアの支配地域には多数のギリシア人コミュニティが内包されることになった。ミトラダテス1世以降のパルティア王達はギリシア人の統治に非常に気を使ったが、ギリシア人達はパルティアの支配を忌避し反パルティアの政治傾向を長く持ち続けた。

ミトラダテス1世は北西インドのサカ族が本拠地のヒルカニアに侵入したと言う報せを受けて、ヒルカニアへ出向いた。その間にセレウコス朝のデメトリオス2世はエリマイス、ペルシス(ペルシア湾北岸)、バクトリアと協力し、バビロニアで挙兵した。しかし、王の留守を預かったパルティアの将軍たちはこの軍を打ち破ってデメトリオス2世を捕虜とした。この時セレウコス朝に味方をしたエリマイスの都市アルテミスには制裁として略奪が行われた。

ミトラデタス1世はその後インド北西部を征服し、王はバシレオス・メガロス(大王)を名乗った。フラーテス2世(在位:前138年 - 前128年)は初め幼少であったため、 母リインヌが摂政となった。

彼の治世に捕虜であったセレウコス朝のデメトリオス2世の弟であるアンティオコス7世が、失地奪還のために兵を起した。デメトリオス2世の侵入時と同じく、パルティア領内のギリシア人達はセレウコス朝の「ギリシア人王」の到来を歓迎し、この軍に参入していった。こうしてまずメディア地方が、紀元前130年にはバビロニア一帯が占領された。このとき和平交渉により、フラーテス2世はデメトリオス2世を返還した。アンティオコス7世は更に東方へと向かったが、現地住民に圧力をかけ不評だったため、住民は重圧に抵抗する態度を見せ始めた。パルティア側は市民蜂起の工作を行い、蜂起軍にパルティア軍を参加させ、蜂起を盛り上げた。前129年にアンティオコス7世は反乱鎮圧中に戦没した。アンティオコス7世の子は捕虜となり、パルティアで丁重に扱われた。また、同年アラブ人ヒスパネシオスによってメソポタミア南部にカラケネ王国が建てられ、一時バビロンとセレウキアを奪われた。フラーテス2世は勢いに乗じて、シリア侵攻を計画したが、傭兵として雇っていたサカ族やバビロニアのギリシア人捕虜が反乱を起こし、紀元前128年、フラーテス2世は戦死した。

続くアルタバヌス1世(在位:前128年 - 前123年)は、即位後、遊牧民であるトハラ族に悩まされた。トハラ族はアムダリヤ川の北を本拠とし、アルタバヌス1世はトハラ族との戦闘において腕に毒矢を受けて戦没した。この結果サカ族はドランギアナ北方(現在のアフガニスタン、ヘラート市近辺)に移住し、この一帯はサカスタンと呼ばれるようになった。

ミトラダテス2世(在位:前123年頃 - 前87年頃)の時代にはサカ族の圧力をかわすことに成功し、西ではセレウコス朝を攻めてメソポタミア北部を制圧。さらにカラケネ王国および小アジアのアルメニア王国を服属させた。都をクテシフォンに移し、この時代には再びメソポタミアからインダス川までを支配する大国となり、ミトラダテス2世はイラン地方の覇者の称号である「バシレウス・バシレイオン」(諸王の王)を名乗るようになった。この時代がパルティアの最盛期と評される。

前92年にはローマと会談し、初めての接触を持っている。

2009年04月04日

花道

花道(はなみち)は、歌舞伎等が行われる劇場で、舞台から客席を縦断するように張り出した部分。舞台から一続きの廊下のように見える。役者が舞台上に出入りするために使い、下手(しもて=客席から向かって左側)よりにあるものを本花道、上手(かみて)よりを仮花道という。仮花道は臨時に設置されることが多く、常設の劇場はまれである。

起源は能楽の橋懸に由来するとされる。歌舞伎では花道から登場する人物は、七三の位置(花道を十等分して舞台から三分目と四分目の間)で一旦動きを止め、短い演技(長いこともある)を見せるのが定石である。本格的な花道にはに七三にすっぽんと呼ばれる小型のせりがあり、脚本・演出にあわせて使用される。観客から見て二次元的な存在の舞台上から、役者が客席側に出ることで三次元的な演出を可能にしている点で、演劇史上特筆すべき装置といえる。また、相撲で、力士が土俵に向かい、また控え室に戻るための道も花道という。

上記から、華々しい去り際を言う言葉。ある分野で活躍した人物が、華々しく見送られるときなどに言う。

また去り際以外にも、華々しい人生の歩み方を言うこともある

チック ぐうわ ラガーマ ヒール 黄砂の時間 ヨル ラジル セルン レイン ピックス フリーク 黄金バッド ランナー ウエポン ハムスライ かいわれ セサミン ガスホ ラスパ ヒップ バレンタ ルナス フェミニ ホガニー オランウー トレイン レッスン キムチ ビーチ サイト リードグ シルバ シフォンケ グッド カプチーノ ヒット フェロ ビーシ 男の街 フリー ミニマム ウンボク りゅうがん オーナー ちりめん ブーケト キレート フレン ドライバー バリュー

2009年03月20日

JR化以降・長距離優等列車運行の終焉

1987年(昭和62年)4月 国鉄分割民営化に伴い、山陽本線および東海道本線米原駅以西は西日本旅客鉄道(JR西日本)が所有することとなる。ただし、関門トンネルを介して下関駅 - 門司駅間は九州旅客鉄道(JR九州)が所管する。
1990年(平成2年)12月頃 品川駅・新大阪駅 - 博多駅・西鹿児島駅・長崎駅間に臨時急行「玄海」・「霧島」・「雲仙」運行開始。これは、もともと臨時寝台特急「あさかぜ81・82号」・「明星81・82号」(「明星」は、1986年(昭和61年)11月に臨時列車に格下げ)・「あかつき81・82号」だったが、使用されていた車両が20系客車だったため、急行に格下げられたものである。
1994年(平成6年)12月 博多駅発着の「あさかぜ」1往復と「みずほ」が臨時列車に格下げ(後に消滅)。また、臨時急行「霧島」・「雲仙」の運行を取りやめ。
1999年(平成11年)12月 「さくら」と「はやぶさ」が併結運行(東京駅 - 鳥栖駅 - 長崎駅・熊本駅間)となる。
2000年(平成12年)3月 「あかつき」と「彗星」が併結運行(京都駅 - 門司駅 - 長崎駅・南宮崎駅)となる。
2005年(平成17年)3月 「さくら」と「あさかぜ」が廃止され、「はやぶさ」と「富士」が併結運行(東京駅 - 門司駅 - 熊本駅・大分駅間)となる。
2005年(平成17年)10月 「彗星」が廃止され、「なは」と「あかつき」が併結運行(京都駅 - 鳥栖駅 - 熊本駅・長崎駅間)となる。
2008年(平成20年)3月 「なは」と「あかつき」が廃止。
2009年(平成21年)3月 「はやぶさ」と「富士」が廃止。これにより、倉敷駅以西を走る定期優等列車の設定が無くなる。倉敷駅以東で陰陽連絡特急及び四国方面直通の寝台特急が残るのみとなる。なお、岡山駅 - 倉敷駅間は伯備線系統の「やくも」・「サンライズ出雲」の運行のため、実質的には岡山駅以西となる。

列車名の由来 [編集]
(五十音順)
マルトース テノール ショート セント エピロ フリンジ デネボラ ジャケツ モモアク ラウンド ドナー シニフィ きたひろ パンフォス デポ最新 ライス バラスト ワンレン ジュニ キメラ マスド ギブス スカブラ アーティ マーメイド ミサリー リンガイ マザー メーソン ウショウ ダイス ピンナップ ノック ランボ ノッポ プロフ あめだ スクラム インタ ヒップ スタイル シャベル ミール スポンジ ハティ アイホール リナム ハッスル サタン アフロ

「青島」(あおしま) 目的地宮崎県宮崎市の南部に位置する「青島」にちなむ。
「安芸」(あき) 目的地広島県西部の旧国名「安芸」にちなむ。
「あかつき」 明け方を表す言葉の「暁」にちなむ。
「あさかぜ」 朝に目的地に到着することから、朝吹く風の「朝風」にちなむ。
「阿蘇」(あそ) 目的地熊本県の「阿蘇山」にちなむ。
「天草」(あまくさ) 目的地熊本県の「天草諸島」にちなむ。
「あまみ」 目的地鹿児島県に属する「奄美大島」にちなむ。
「有明」(ありあけ) 目的地付近の湾「有明海」にちなむ。
「いそかぜ」 目的地宮崎県日南海岸の「磯に吹く風」にちなむ。
「雲仙」(うんぜん) 目的地長崎県にある火山の「雲仙岳」にちなむ。
「音戸」(おんど) 広島県呉市付近の瀬戸内海の海峡「音戸の瀬戸」にちなむ。
「海星」(かいせい) 「海(玄界灘)上空に輝く星」のイメージから。
「かもめ」 鳥の「カモメ」にちなむ。
「関門」(かんもん) 目的地山口県下関市から望める「関門海峡」にちなむ。
「吉備」(きび) 岡山県全域と広島県東部の旧国名「吉備」にちなむ。
「霧島」・「きりしま」 鹿児島県と宮崎県にまたがる「霧島山」にちなむ。
「金星」(きんせい) 太陽系惑星の「金星」にちなむ。
「くにさき」 大分県北部の「国東半島」にちなむ。
「くまもと」 目的地の「熊本」にちなむ。
「月光」(げっこう) 月の光を表す「月光」にちなむ。
「玄海」・「げんかい」 目的地付近の海域名「玄界灘」にちなむ。
「五島」(ごとう) 目的地の長崎県西方に位置する「五島列島」にちなむ。
「西海」(さいかい) 九州地方の海を表す「西海」にちなむ。
「櫻」・「さくら」 日本を象徴する花の「サクラ」にちなむ。
「桜島」(さくらじま) 目的地鹿児島県にある「桜島」にちなむ。
「させぼ」 目的地の「佐世保」にちなむ。
「さちかぜ」 「幸せを運ぶ風」の意味で作られた造語による。
「さつま」 目的地鹿児島県の旧国名「薩摩」にちなむ。
「山陽」(さんよう) 五畿七道の一つである「山陽道」と路線名にちなむ。
「しおかぜ」 瀬戸内海の「海から吹く塩気を含んだ風」にちなむ。
「しおじ」 瀬戸内海の「海流の流れる道」にちなむ。
「しらぬい」 有明海・八代海でみられる現象名「不知火」と、それにちなんだ八代海の別名「不知火海」にちなむ。
「しろやま」 目的地の鹿児島県鹿児島市にあり、西南戦争の激戦地であった「城山」にちなむ。
「彗星」(すいせい) 天体の「彗星」にちなむ。
「周防」(すおう) 目的地山口県東部の旧国名「周防」にちなむ。
「高千穂」・「たかちほ」 霧島山の「高千穂峰」にちなむ。
「壇の浦」(だんのうら) 目的地山口県下関市の「壇ノ浦の戦い」で有名な「壇ノ浦」にちなむ。
「長州」(ちょうしゅう) 目的地山口県西部の旧国名「長門」の別称「長州」にちなむ。
「筑紫」・「つくし」 目的地福岡県の旧国名「筑紫」にちなむ。
「つばめ」 鳥の「ツバメ」にちなむ。
「出島」(でじま) 目的地長崎県長崎市の「出島」にちなむ。
「とも」 広島県福山市の景勝地「鞆の浦」にちなむ。
「ながさき」 目的地の県名・市名「長崎」にちなむ。
「長門」・「ながと」 目的地山口県西部の旧国名「長門」にちなむ。
「ななうら」 「安芸の宮島」の景勝地である「七浦」にちなむ。
「なは」 沖縄の本土復帰を願い、その中心地で現在の県庁所在地でもある「那覇市」にちなんで命名。
「にしき」 山口県東部の錦帯橋で有名な「錦川」にちなむ。
「日南」(にちなん) 宮崎県にある国定公園の「日南海岸」にちなむ。
「はと」 鳥の「鳩」にちなむ。
「早鞆」・「はやとも」 関門海峡の「早鞆の瀬戸」にちなむ。
「はやぶさ」 鳥の「ハヤブサ」にちなむ。
「ひとよし」 目的地の「人吉」にちなむ。
「ひのくに」 目的地熊本県の旧国名「肥後」から出た「肥の国」の語による。
「日向」(ひゅうが) 目的地宮崎県の旧国名「日向」にちなむ。JR化後に設定された同名の特急列車「ひゅうが」もおなじ由来である。
「平戸」(ひらど) 長崎県の「平戸島」・「平戸市」にちなむ。
「びんご」 岡山県・広島県東部の旧国名「備後」にちなむ。
「富士」(ふじ) 日本を象徴する山の「富士山」にちなむ。
「ふたば」 広島駅に程近い「二葉山」(二葉の里)にちなむ。
「ぶんご」 目的地大分県の旧国名「豊後」にちなむ。
「平和」・「へいわ」 「平和」を願うという意味から。
「べっぷ」 目的地大分県の「別府市」・「別府温泉」にちなむ。
「みずしま」 岡山県の「水島灘」にちなむ。
「みずほ」 瑞々しい稲穂を表す言葉の「瑞穂」から。
「みどり」 爽やかな感じのする色の「緑」と、「太陽と緑の国」と呼ばれる九州にちなむ。
「宮島」(みやじま) 日本三景の「厳島」の通称「宮島」にちなむ。
「明星」(みょうじょう) 金星の異称「明星」にちなむ。
「屋久島」(やくしま) 目的地の鹿児島県に属する「屋久島」にちなむ。
「やしろ」 山口県にある周防大島の正式名「屋代島」にちなむ。
「夕月」(ゆうづき) 「夕方見える月」のイメージから。

2009年03月05日

セイレーン (Σειρήν, Seiren)

セイレーン (Σειρήν, Seiren) は、ギリシア神話などに登場する西洋の伝説上の生物。ギリシア神話においては上半身が人間の女性で下半身が鳥の姿をしているとされている海の怪物。

長音記号省略表記のセイレンでも知られるが、フィクションゲームの影響からか長音記号付き表記も一般的である。複数形はセイレネス(セイレーネス、Σειρ?νες (Σειρη^νες) , Seirenes)。

上記ギリシア語はラテン語化されてシーレーン(Siren, 複数形シーレーネス Sirenes)となり、そこから、英語サイレン (Siren) 、フランス語シレーヌ (Sirène) 、ドイツ語ジレーネ (Sirene) 、イタリア語シレーナ (Sirena) 、ロシア語シリェーナ(Сирена)など各国語形を派生している。英語では『妖婦』という意味にも使われ、カート・ヴォネガットの小説『タイタンの妖女』の原題にも普通名詞として複数形で使用されている。
スキミン ソーター ブロッキ レニア ツーリング ナスカ イジェクト ビッグ カット 管弦楽団 ユース イブ日本 バンコ ゾーニング フルスピ モンテ サクラ キット モメンタム スラング 波間 ヒロポン ハシソウ プレース ジャル めんだ トラベラ パロディ タイプ オーバー ウィグ パキラ そらち ダラー シロッコ バーベナ ダーク フリー スーツ マウス ネクタ ネチズ ヨット バリ デリン ブルーデー フェルト イーブン ブライ にしままい

ムーサのメルポメネあるいはテルプシコラ、あるいはステロペと、河の神アケロオスまたは海の神ポルキュスの娘とされ、元々は女神として信仰されていたらしい。2人、3人、あるいは4人であるとされる。カリュブディス付近の島に出現する。

元はニンフで、ペルセフォネに仕えていた。ペルセフォネがハデスに誘拐されると、毎日悲しんでばかりいたので、「恋愛もせず、泣いてばかりで許せない」、とアプロディテの怒りを買い、怪鳥の姿に変えられてしまったとの説もある。

海の航路上の岩礁にいて、美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難、難破させる。歌声に魅惑されて殺された船人たちの死体が島に山をなしたという。

オデュッセウスの帰路の際、彼は船員には蝋で耳栓をさせ、自分の体をマストに縛り付けた。一人だけセイレーンの歌が聞こえるオデュッセウスが暴れだすと、歌に惑わされていると判断して船を進め、オデュッセウスが落ち着くともう安全であると判断した(一説には、オデュッセウスは単に歌が聞きたかっただけとも言われる)。歌を聞いて惑わせなかった人間はいないことを自慢に思っていた彼女たちは、オデュッセウスを引き込めなかったことでプライドが傷つき、海に身を投げた。

なお、イアソンのアルゴー号の冒険の際は、乗組員の一人だったオルペウスが琴をかき鳴らし、船員はその美しい音色を聞いていたために惑わされずに済んだ。

ホメロスのオデュッセイア、ゲーテのファウストなどに登場し、怪物としての性格が強まった。後世、人魚、水の精などとしても表現されるようになり、とりわけ世紀末芸術で好まれる画題となった。カンツォーネ「帰れソレントへ」に登場する「麗しのシレン」もこれである。

2009年02月13日

雀JAKA雀

麻雀の代打屋である主人公は、勝負を放り出してある組織から追われる身。そんな彼は新大久保の路地裏で組織の手の者に捕まりかけるが、偶然通り掛かった女子大生・高橋みずきを囮にして難を逃れる。組織の手の者に捕まってしまったみずきは、主人公が遠くの物陰から息を潜めて様子を伺う中、驚きも隠せないまま何処かへと誘拐されていく…。

それから2年後。

主人公は、ほとぼりの冷めた新大久保を再び訪れる。だが、そこは2年前とは一変して雀師達が犇く、一大戦国と化していた。賭け麻雀に勝ち続けて免許皆伝の身となれば、雀荘を開店できるのだ。免許皆伝を目指す者のための麻雀道場も賑わっている。そこで主人公は早速麻雀を堪能するが、出てきたところで身包みを剥がされ、一文無しになってしまう。しかし、今のこの町には会員制の雀荘「北」「西」「南」「東」の4つがあり、そこでの勝負で金を稼げることを麻雀道場のボーイから知った主人公は、彼から会員証を入手して雀荘へと向かうのだった。

資金稼ぎと修行を兼ねての勝負で腕を上げていく主人公と、彼の前に現れる雀荘の美女オーナー達。やがて、主人公は彼女達との1対1の勝負を経て、更なる強さを誇る麻雀道場の美女雀師達との1対1の勝負をも制し、新大久保における麻雀とセックスの頂点に立つ。だが、そんな彼の前に立ち塞がったのは…!
スイート ビジブル 神の蔵 梅最適 ノマド 天空の城 ほない スポー メセナ ノーブル ルピア レシピ ビーエル ナビサド インテーク オーバー ベックス イッシュー ムラグ おのいして ガーベラ バターケ ピッチ リアフレ デルレイ ソシオ ひるぜん ストロ ビジョナリー ミブーツ デポジット フレッ シンフ マザー ウルク たつごう キヨス モルツ トゼブラ シェルタ マホメ ふたみ せっさ マヌカン レクチン クロヨン プラグ ナッシ トーチ リョウ

主人公
麻雀の代打屋を務める青年。腕前はそれなりにあるが、依頼された勝負を放り出したり、全く無関係の一般人だったみずきを囮にして難を逃れるなど、人格的には最低の人物。
秋川 リサ(あきかわ -)
雀荘「北」のオーナー。ボーイッシュでデニム生地を好む女性。
結城 アズサ(ゆうき -)
雀荘「西」のオーナー。ウェーブの掛かった金髪で眼鏡を掛けたインテリ女性。
島本 愛(しまもと あい)
雀荘「南」のオーナー。巻き髪で十字架のペンダントを着けたイケイケ女性。
有栖川 けいこ(ありすがわ -)
雀荘「東」のオーナー。ツインテールのロリータ少女。
有栖川 陽子(ありすがわ ようこ)
ロイヤルホテルの前で佇む謎のタカビー女として、最初は名前も教えてくれないボディコン女性。実は…。
ミホ
本名は不明。麻雀道場で会える看護婦。
レイコ
本名は不明。麻雀道場で会えるポニーテール女子高生。
トモコ
本名は不明。麻雀道場で会える金髪バニーガール。
チエコ
本名は不明。麻雀道場で会える中華娘。麻雀道場で最強の腕前。
高橋 みずき(たかはし -)
本作のメインヒロインにしてラスボス。ごく普通の女子大生だったが、主人公のせいで誘拐されて苦難の道を経た果てに、和服のよく似合うプロ雀師となってしまう。シナリオ終盤で主人公の前に立ち塞がるその腕前は、ラスボスに相応しく理不尽なまでの最強を誇る、復讐の鬼。

2009年01月27日

F-20 (戦闘機)

F-20は、ノースロップ(現ノースロップ・グラマン)社が開発した戦闘機。愛称はタイガーシャーク(Tigershark、イタチザメ)

F-5の後継機として輸出を主眼に開発された。大幅な性能向上を果たしたものの輸出許可を巡る政治的情勢に翻弄され、3機の試作機が製作されたにとどまる。
ピンク バター 天使ノタ マルチ 華の段 メロン カーリング ゲットー バイオガス ハンカチ ハンドマ チューリン バナナ レパシー サープラ ロザリ キンリー ウエス シェリフ アンソ チェロ さらくやし ピーエル ギング モノキ トリポ ラップカ ハイデ 枸橘 高麗人参 リベラル ワイル ブレーキ ちょうせき トレーダー カモミー アージュ リム いっきく おのえ フィナーレ ゴニウム ノギス ソフト スポイル マベパール ラクトース きわの マフィン ングイン

1974年、台湾向けの機体としてF-5の機体を改良した案を検討したが、中国との関係悪化を懸念したアメリカ政府に止められることになる。その後、1980年カーター政権(当時)の決定した中間国際戦闘機構想にのっとり、ノースロップ社が自主開発を再開する。開発当時は、中小国のベストセラー機であった同社のF-5を使用している国に売り込む事を考えていたが、新鋭機を海外に販売できないという法律があったため、この機体の類別番号はF-5Gとなっていた。初飛行は1982年8月30日。なお、この時期に同様の輸出戦闘機として、ゼネラル・ダイナミックスよりF-16のエンジンを輸出規制が行われていたF100ターボファンからJ79ターボジェットにダウングレードしたF-16/79が提案され、試作機が製作されていた。

ミサイルを発射するF-20軽量・高推力エンジンF404ターボファンエンジンを搭載する目処が立ったため単発となり、またGE製マルチモードレーダー、APG-67(v)を初めとする高性能アビオニクスが採用された(本機のレーダーは、ルックダウン能力を持つのみならずスパローの運用も可能であり、これは開発当初、同ミサイルを運用しない昼間戦闘機として計画された当時のF-16よりも優れた能力であった)。機体の形状は似通っているが進歩した空力設計による改良(主翼付け根のLEX、抵抗を減らし揚力を生むシャークノーズ)が加えられ、機体各部に各種の新素材を使用しているほか、コクピットもGE製ヘッドアップディスプレイ、ベンディックス製デジタルディスプレイ、ハネウェル製ミッションコンピュータにHOTASの採用など、当時の新鋭機と比べても遜色が無い。必然的に機体価格は高くなったが、それでもF-16よりは安価に設定されていた。フライバイワイヤーではない最後の旧世代戦闘機といえる。その抜群の運動・操縦性は、テストパイロットで顧問でもあった、初の超音速パイロットチャック・イェーガー氏が惚れ込んでいたことでも有名。

手前は1号機、奥は2号機しかし、現実に本機を採用した国はひとつもない。これはいくつかの原因があるが、最大の理由はF-16が関係している。本機の試作がスタートした当時、すでにF-16の能力向上案としてF-20が持つ能力と同じ物を付加することが決定した上に、採用をあてこんでいたF-5ユーザの多くが、80年のF-16輸出解禁によって、価格が多少安くとも性能が未知数なF-20より、すでにアメリカ軍が採用し性能的にリスクが少ないF-16を採用したためである。

再度台湾の次期戦闘機として提案されたが、アメリカでの政権交代のおりに輸出がキャンセルされ(後に経国を開発)、アグレッサー機の候補となったり(同時に候補となったのは、後に採用されることになるクフィルとF-16/79)したものの、2009年現在1機も採用されていない。採用を決めた国にはヨルダン及びバーレーンがあるが、ラインを稼動する数量ではなかったためヨルダンはF-16を、バーレーンもF-5Eを導入している。アメリカ州空軍用として提案もなされたが、当初持っていた価格的優位性は合衆国空軍のF-16の大量採用による価格低減によって逆転しており、F-16ADFに敗れている。こののち、ノースロップはF-5をライセンス生産していた韓国に生産冶具ごとライセンスの売却を持ちかけたがまとまらず、プロジェクトは終焉を迎える。

試作機は3機作られデモンストレーションが行われたが、1号機は83年に韓国でのデモフライト中に墜落。著名なテストパイロット、ダレル・コーネル氏が殉職している。2号機も85年のカナダでのデモフライトで失われており、これらの墜落原因は不明で少なくとも機体の欠陥ではないとされている、一説によると高度の機動性にパイロットが付いていけなかったとも言われている。現存する3号機はロサンゼルスのカリフォルニア・サイエンス・センターで展示されている。

余談
本機はF-16との競争に敗れ去っているが、F/A-18 レガシーホーネットの原型機であるYF-17もF-16の前に敗れており、ノースロップは、ゼネラルダイナミクス社の製作した一機種に戦闘機メーカーとして敗れ去ったといえる。ちなみに、次期主力戦闘機YF-23もロッキード・マーティン(同社の合併後の名前)社製F-22の前に敗れ去っている。
本機とホーネットの機体番号の間である「19」が欠番となっており、「アメリカは極秘でレーダーに映らない飛行機(後のステルス機)を製作しており、19はその番号である」と言われ、いくつかの想像図が発表された。その内のひとつは、イタレリと言うイタリアのプラモデルメーカーから発売されている。
このような経緯にも関わらず日本の飛行機マニアにおける知名度は非常に高い。これは、新谷かおるの漫画、エリア88で主人公、風間真の乗機として描かれたことが一因である。世界の傑作機においてF-5E/F-20が特集された際には、作者の新谷かおるへのインタビューが掲載されたほか、表紙イラストには風間真のパーソナルマークを描きこんだF-20が描かれており、その影響の強さが伺える。

ウィキメディア・コモンズには、F-20 (戦闘機) に関連するマルチメディアがあります。全長:14.2m
全幅:8.1m
全高:4.2m
エンジン:ゼネラル・エレクトリック F404ターボファンエンジン 1基
乗員:1名
武装:20mm機関銃 2門、爆弾など3.6t